コラムとQ&A
 
 
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人生

例えば恋愛をしているときや、仕事がバリバリうまくいってるとき、つきまくっているとき、最高のSEXをしているとき、何かに熱中しているとき・・・・・人は自分が世界の中心のような錯覚を覚える。そこまではなくとも、思考は完全にプラす化しなんでもうまくいくような気にもなる。

僕はある意味、この状態と言うのは病気にかかっているようなものだとずっと考えていた。

軽い躁状態的な。

結論は違うがコリン・ウイルソンというおっさんもこのようなことを結構考えていたらしい。

「ふつう私達にとって、人生は辛く、退屈で、満足を与えてくれない。ところがそうした瞬間には意識が白熱し、拡大し、あらゆる矛盾が解決したような気になる。どちらの感覚が本物なのか。私は考え抜いたすえ、こういう結論に達していた。途方もない朗報という直感のほうが、人生は退屈でつまらなくて無意味だという感覚よりも幅広く包括的だ。退屈というのは本質的に狭さの感覚である。せまい人生感よりも広い人生観のほうが真実により近いに決まっているではないか。」

19世紀のロマン派の詩人や芸術家も同じ問題にとりつかれていた。幻視の瞬間を経験し、そして翌朝になると、あれはすべて幻だったのだろうかと思い悩んだらしい。

抜粋なのでわかりづらい点もあるかもしれないが、いいたいことはわかると思う。

たしかに、コリン・ウイルソンが言うように日常に埋没しているよりは真実に近いに違いない。

例えば宗教に傾倒していればこういう感覚はわかりやすいのかもしれない。あらゆるこの世での矛盾が解決した気になるからね。ただ、僕がいつも思うのは果たして本当に解決しているのだろうかということだ。

保守的な僕の結論は、この病は人間にとって必要なものなのであって、退屈な人生のスパイスと考えるのが妥当なような気がしてならない。

このスパイスがあるから生きていくことができるのだと。

そう言う意味でいえば至福のSEXをすることも生を実感するために、欠くべからず事のように思う。

蛇足:この文章を書きながらアバロンという映画を思い出している僕であった。

                                        by   管理人 

 
 

とまあ、しょっぱなから少しかたい話しになってしまったが、ご意見のある方はメールでどうぞ。
 
 
 
 
 
 

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